6月は厚生労働省の主導で祝日制定すべきだと主張したい、濃い茶です。
遠出どころか一歩も外に出たくないし、
やる気も出ないのになぜ休みがないのか
休みにしても経済効果が出ないから。
答えはいつもシンプルです。
ところで、海の日は現在固定3連休になっていますよね。
これを本来の7月20日に戻そうとして、
観光業界と海地業界を怒らせています。
一体何を考えてるんですかね。
低気圧に負けていて、中身のある文章が書けず燻っています。
でも何かは書きたいなと思うので心のままに綴っています。
ゴール地点はありません。
フリーランスだろうが、
会社員だろうが、
犬だろうが、
スズメだろうが、
鈴だろうが、
低気圧にいろんなものを削がれるのは人間の宿命かもしれません。
もっと言うなら6月に日本を生きていく人の宿命。
生きていくのに必要なもの
最近は、気が向いたときに長野県の田舎の古民家でまったり過ごしています。
30分に1本聞こえる電車の音を聞きながら、
庭の雑草を抜いたり、
松の剪定をしたり、
試しに植えてみたトマトやらナスやらしそやらの世話をしたりしています。
田舎というのはいいものです。
さて、この田舎という言葉ですけれども。
都会と田舎
に二分できるはずはなく、せめてですね。
都心
都会
郊外
田舎
山
くらいには分けないといけません。
特に、
郊外のことを田舎というのは即刻やめて欲しい。
というのが郊外生活歴26年の私の思うところ。
田舎も都会もどっちも欲しい
私は基本的には田舎でマイペースに暮らしていたいのですが、
それでもたまにどうしても東京の街中を歩きたくなるのです。
東京にずっといると感覚が麻痺して気がつかなくなりますが、
東京は魔物がいるように感じませんか。
とても大きなエネルギーを持った魔物が東京の地下を、上空を蠢いているのです。
東京で生きている人たちのエネルギーを養分に巨大な魔物は生きている。
そしてそのエネルギーに刺激をもらって、
すごすごと郊外へと帰っていきます。
郊外は可もなく不可もなく
いわゆる「普通」というやつなんじゃないでしょうか。
ものごとにはバランスが必要なのです。
プラスとマイナスがそれぞれ存在することに意義がある。
甘いケーキを食べればしょっぱいせんべいが欲しくなるし、
人混みを歩けば、1人静かな海を眺めたくなる。
世の中が暗い時には、コメディの人気が出るし、
世界が明るいときは理不尽なまでに悲しい恋物語が流行する。
田舎も都会も諦められない私は
やっぱり何でもかんでもやりたくなってしまうのです。
甘いものも
辛いものも
しょっぱいものも
酸っぱいものも
そしてたまには苦いものだって。
全部ちょっとずつ食べていくそんな人生を描きたい。
楽しいことばかりじゃなくて、辛いこととか苦しいこともあったりして
そうやってバランスをとって人生はちょっとずつ積み重ねられていくのでしょう。
今のところ、人生でプラスばかり計上してきた私は、
この後そのツケを払うんじゃないかと思うと恐ろしいのですが、
もしかしたら前世の私が、すごく苦労して先払いしてくれたのかもしれません。
と楽観的な私がいる一方。
納期が迫っている案件が真っ白なのを見て、
何時間あれば終わるか必死に計算している現実的な自分もいるのです。